死を受け入れる① むしろ「清々しく」
タローが息を引き取ったあとも、しばらくの間、彼の体をさすっていました。いくらさすっても、肋骨が浮き出た腹部はもう動きません。
ああ、やっぱり死んでしまったんだ……。呼吸も楽になり、眠るように逝ったのが、せめてもの救いでした。
19歳の誕生日目前に具合が悪くなったときは、呼吸がとても辛そうで、頭をもたげるようにして横たわっていたのを思い出します。
眼を見開いたままの彼に向かって、必死に呼びかけました。「タロー!! こんな状態のまま死んだら、夢見が悪くてかなわんよ~~」。
半ばベソをかきながら、やっぱり体をさすったり、少しでも呼吸が楽になればと、頭部が高くなるようにタオルを挟んだり、寝る位置を変えたりして、始終見守りましたっけ。
あれれっ、タロー爺さん! 薄目、開けてるじゃん!! 再び奇跡が起き、不死鳥のごとく息を吹き返したの!!!
いやいや、ちょっと待って、オカルト映画じゃないんだからさ。
もちろんそんなはずはなく、死にかけて以来、彼はうっすらと目を明けた状態で寝ていることが多いのでした。
半眼のまま寝るなんて、今にして思えば、すでに仏様に近づいていたのかもしれませんね。トホホ。
彼の心臓が止まったことを心から納得するには、やはり時間がかかったのだと思います。
まだ温もりのある彼の体を連れ合いが幾度かマッサージしていました。
いつもは「20歳まで生きて欲しい」という願いを込めて、このときはおそらく「長い間、お疲れさん!!」という感謝の気持ちからだったでしょう。
いろいろあったけれど19年7ヵ月もの間、本当にタローはよく生きてくれました。
悲しさよりも、清々しさのほうが勝ったのは、彼が彼らしく犬生を全うしたこと、さらには飼い主として伴走できたことに感動を覚えたのだと思います。
……ちょっと自画自讃すぎましたかね。