高齢パグ犬との思い出ブログです
初めて飼った犬が平成29年11月23日、19歳と215日で旅立ちました。
あと5カ月で満20歳だったのにね… 残念!!
名前はタローといいます。鼻ぺちゃ・シワ顔のパグ犬です。
相手が人間の場合はもちろんですが、老犬を支えるのもやっぱり大変!
食事や排泄、夜泣きなど老犬特有の困りごとや心配ごとに直面するたび、
獣医さんや犬友など周囲の人に励まされながら、なんとか日々を送っていました。
でもけっして辛いことばかりじゃありませんよ。
思わず笑ってしまうようなことや、人生に思いをはせるときもありました。
トホホな飼い主が、介護ライフのあれこれを綴ります。
言わぬが花、知らぬが仏
タロー自身、飼い主、獣医の三者合意のもとに肥満細胞腫の手術はもう行わない、
悪性腫瘍を抱えたまま生きていく!!――いかにも潔くて格好良さげですが、
実はちっとも気持ちの定まらない、情けない飼い主でした。トホホ。
高齢になると、体のあちこちに腫瘍ができることは決して珍しくありません。
脂肪の塊のような良性の場合も多いと言われます。
タローと同年齢で、ご近所のメスのワンコは、腹部に1センチくらいの大きさの腫瘍が複数ありました。
だけど食欲はあり、散歩を渋る素振りもなく、以前と変わらず元気でした。
メスの腹部の腫瘍は、5対ある乳腺に発生した乳腺腫瘍*1のことがほとんどで、避妊手術をしていないメスによく見られる腫瘍の1つだそうです。
良性と悪性とがあり、確率は半々くらいとか。
飼い主さんは「手術はしない」とおっしゃっていました。
そんな話を聞いていたせいか、タローに悪性腫瘍が判明しても、比較的冷静に「手術をしない選択もあり得るんだ」と思えたのかもしれません。
ただ、トホホな婆やは先の飼い主さんと異なり、覚悟ができていなかった。
単に、高揚した気分に酔っていただけでした。
手術からどのくらい経過したでしょうか。たぶん夏になっていたと思います。
耳の付け根に小さなイボを見つけた時、ドキッとしました。
「もしかして……!?」
肥満細胞腫を疑わずにはいられません。しかも、見る見るうちに約5mmサイズまで育ったのです。
もう我慢できなくなり、いつもの動物病院に駆け込みました。
そして新たな腫瘍が悪性か否か、獣医に診断を迫りました。
「以前の悪性腫瘍と場所が近いし、あっという間に大きくなりました。悪性腫瘍だったら、もう手遅れでしょうか?」
一気にまくし立てる私を尻目に、獣医はタローの患部を目視し、いちおう触診も試みた後、私の目を見据えながら口を開きました。
「正しい診断は、やはり病理検査に出してからじゃないと下せません。だけど手術しないと決めたのだから、検査に出さないほうがいいですよ。もしも悪性だったら迷うでしょ?」
ガーン!!
獣医の指摘は、ぺらっぺらっな私の決意をまるで見透かしたようなものでした。
まさにその通りです。もしも悪性腫瘍だと分かったら、私の気持ちは「やっぱ手術をしたほうがいい。早ければ早いほうがいいのでは?」
「いや、少なくとも手術はしないと決めたんだからさ。それとも腫瘍ができるたびに手術するつもり?」と、右往左往したに違いありません。
悪いことか良いことか分からない場合、事実を知らないほうが幸せでいられることって、確かにありますよね。
おそらく獣医が示唆したかったのは、「なまじ事実なんか知らないほうが心は乱されないですよ」ということだったのでしょう。
あるいは飼い主の覚悟が定まっていないと勘づいた以上、「事実を告げることはかえって悩みを増やすだけ」と考えたのかもしれません。
落ち込む私に、獣医がボソッと伝えました。
「うーん。見た限りは、悪い質ではないと思うけど……。難しいところですが」。
耳の付け根にできた腫瘍はさらに大きく成長したものの、やがて崩落して血が滲みました。
それを繰り返しながら、タローは19歳まで生き続けました。
先生、ありがとうございました!!
*1:頭側の乳腺は前脚の脇の下のリンパ節につながり、尾側の乳腺はそけい部のリンパ節につながっているため、悪性の場合はリンパ節や肺への転移がよくみられるそうです。犬自身が腫瘍を気にすることはほとんどなく、健康診断やトリミングで、あるいは飼い主がブラッシングをしている最中に気づくことが多いと言われます。
後にも先にも1回だけの……
タローの一番の長所は、人間を心から信頼していることだったと思います。
ある意味、ちょっと“オマヌケ”だったと言えなくもありませんが……トホホ。
とてつもない食いしん坊のくせに、ご飯やオヤツを前に「よし」と言われるまで、
食べるのをグッと我慢していました。
「よし子」「よし男」といったフェイント言葉にも引っかかりません。
ただし限界が近づくと涎がタラーリ、タラーリ。合図を待ちわびる彼の足元には、ちょっとした水溜りが出現するのでした。
5、6匹の群れで散歩している時、飼い主さんの1人がゴソゴソとオヤツの袋を取り出すと、さあ大変!!
飛びついたり吠えたりと、ワンコたちはもう大騒ぎ。
そりゃ、そうですよね。
先を争い、存在を主張するのはむしろ本能的な行動ですから。
ところがタローは、後のほうでちょこんとお座りをして待っているんです。
オヤツの袋を取り出した飼い主さんは群がるワンコたちに分け与えながらも、彼の姿がちゃんと目に入っていたんでしょうね。
頃合を見計らって、差し出してくれました。
すると、とても驚かれたのです。
がっつくあまり、歯を立ててしまうワンコもいるので、「ちゃんと躾ができている」と思われたようです。
自慢じゃありませんが、婆やの辞書に“躾”という言葉はなく、彼は根っからお行儀の良い犬なのでした。
根底に、人間に対する信頼感があったからこそ、タローは食いしん坊のわりに口がキレイだった――そんな気がします。
彼の頭の中には、「いい子にしていれば、必ずご褒美をもらえる」という図式が成立していたのかもしれません。
そんな彼の気質は、散歩で出会うワンコの飼い主さんや顔見知りの方はもちろん、初めて会う人に対しても発揮されました。
声をかけられたら、挨拶せずにはいられないのです。
ペットショップのお姉さんからは「ご挨拶犬」と評されていましたっけ。
こんなエピソードがあります。お父さんが散歩に連れているメスのワンコと知り合いになりました。
最初の頃、彼女は警戒してワンワン吠えたてるのですが、タローはお構いなしです。
ずんずん近づいてワンコの匂いを確認すると、今度は飼い主さんへ向きを転じます。
丸めた尾を振りながら、まるで「タローと言います。どうぞ、お見知りおきください」と挨拶しているようでした。
ある日、いつものお父さんではなく、お母さんが散歩をさせている時に遭遇しました。タローは吠える彼女の匂いを確認すると、すかさずお母さんへ近づき、お座りをするじゃありませんか!!
「お初にお目にかかります。いつもお父さんにはお世話になっております」とでも言いたげな様子に、思わず飼い主のお母さんは笑いながら、「あなたがタローちゃんね。よろしく」と頭を撫でてくれました。
以後、お父さんとお母さん、2人の飼い主さんから可愛がってもらい、彼が殊のほか満足したのは言うまでもありません。
いつの間にかワンコの彼女も吠えなくなりました。
人間に対して絶大な信頼を寄せるタローですから、「ウーッ」とうなったり噛みつくことなどほぼ皆無でしたが、生涯に一度だけ、歯型が残るほど噛み付いた相手がいます。何を隠そう、最初の飼い主である私の父親です。
父親は忌々しそうに手の傷跡を見せました。豆粒みたいに小さな歯で、よくこれだけ跡がついたものだと、逆に感嘆したのを覚えています。
どうしてこんな事態になったのか――。
顛末はこうです。
古びたTシャツをタローに無理やり被せ、暴れる様子や、やっと顔を出したところを見ては、たいそう父親は面白がっていたようなんですね。
何回目かの時、「もう我慢ならん!!」とばかりにタローがガブッ!!
私が飼い主になってからも、父親が高笑いをすると、必ずと言っていいほどタローは吠えていました。
おそらく父親の笑い声とともに、屈辱的な出来事が甦るのでしょう。
身を拘束され、嘲笑されるのは、彼にとって耐えがたいことだったろうと思います。
犬にも自尊心があるのだと気づかされました。
三者合意のもとに その1 その時タローは……
自然の恐ろしさと、文明人の傲慢さとを思い知らされた東日本大震災、そして福島第一原発事故から10年が経ちました。
10年という歳月は、人によって長さも重さも受け留め方は様々だと思いますが、私にとって、この10年間はタローの病気に始まり、
やがて父親とタローとのダブル介護を経て、片や施設へ、片やあの世へ見送り、精神的にも肉体的にもけっこうしんどい日々でした。
だけど、タロー爺さんを抱えて外に出れば、犬友や近所の人が声をかけてくれ、彼の頭を撫でてくれました。
タロー爺さん亡き後は、父親の元へ毎日通う私の体を気遣ってくれることが幾度となくありました。
先の見えない介護に、つい出てしまう愚痴を聞いてもらい、その度に慰められ、励まされ、どんなに気持ちが軽くなったことか!!
ため息をつきながらも、なんとかやり過ごすことができたのは本当に幸運でした。
対面で気軽に声をかけ合うことができない、他者とのつながりを感じにくい新型コロナ禍の今の時期と重なっていたら、私の精神も肉体もたぶん正常でいられなかったと思います。
前置きが長くなりましたが、10年前の3月11日のことを話しましょう。
当日、私は仕事の打合せで外に出ていました。しかも、ちょっと郊外へ。
いつもなら間違いなく在宅しており、タローの傍でパソコンに向かっていたはずです。
地震の多い東京でも、あまり経験したことのない揺れの大きさと時間の長さでしたよね。
歩いて自宅に戻ることが出来る距離ではなく、出先に留まろうと決心しましたが、気になるのはタローと連れ合いの安否、はたまた築50年以上になる家がどうなっているかです。
携帯電話がなかなか繋がらず、やっと連れ合いと連絡がついたのは、とうに午後6時を過ぎていた覚えがあります。真っ先にタローの様子を尋ねると、思いもよらぬ答えが返ってきました。
「これはちょっとヤバそうと思って、タローが寝ているベッドごと食卓の下に移動したんだよ。そしたら、ふてぶてしい顔付きで『何が?』と一瞥をくれてさ。まったく怯えていなかったよ」というじゃありませんか!!
その後、いつも通りにご飯と散歩を済ませたそうです。
私はほとんど眠れぬまま、その夜を過ごしたのに、彼は毎日のルーティンをこなし、スヤスヤお休みになっていたとか。
小さい頃のタローは、音や振動がはなはだ苦手でした。
家の中でも雷のゴロゴロが聞こえたら、もう大変。私が居れば必死な形相で「抱っこ、抱っこ」をせがみ、姿が見えなければ仕事机の下に入り込んで震えていました。
そんな彼が、あの大きな揺れに動じることもなく、淡々と変わらぬ日常を送っていたとは。
タローも立派に成長したものだ!!
いやいや、そういうことではなく、大震災と原発事故が起きた2011年、タローと私と連れ合いも、忘れえぬ事態に見舞われたのです。
三者合意のもとに その2 13歳にして手術を初めて経験する
東京は計画停電などもありましたが、幸いにしてトホホな飼い主が住む地域は実施を免れ、例年通りに桜が咲き、タローも無事に13歳を迎えました。
彼の地は日常を取り戻すなど程遠い、混乱や悲嘆の日々を送られていたことを思うと、申し訳ない気がしました。
平穏な毎日を過ごしていましたが、5月に入ってから、タローが食事のドライフードを残すようになりました。
食欲がないというよりも、噛みにくいか飲み込みにくいかで完食を諦めてしまう。
そんな感じです。
さっそくかかりつけ医へ相談に行きました。
話を聞き終えた医者は、嫌がるタローの口を手際よく開け、指を中に押し込むと、何かを確かめているようです。
そのままの姿勢で話を始めました。
「歯がだいぶ傷んでいますね。歯石がこびりついてしまい、人間で言えば歯槽膿漏がかなり進んだ状態です。こんな状態でよくドライフードを食べていたな……」
別に責めたつもりではないのでしょうが、〝ダメ飼い主〟と烙印を押されたようで、正直、凹みましたよ。
けれど、そんなことはおかまいなしに説明は続きます。
「麻酔を打って駄目な歯は抜き、歯石を取り除くしかありません。そうすれば、また元気よく食べるようになりますよ」
そして、手術を行うのは年齢的にギリギリだと告げられました。
「麻酔を打って」というフレーズに私が反応したのを見逃さなかったのでしょう。医者は、「もちろん麻酔に耐えられるか、事前に心電図をはじめ全身状態のチェックを行い、手術中も気管挿管して呼吸を確保しますよ」と付け加えたのです。
費用は5万円かからないとのこと。その場で結論は出せず、「連れ合いと相談してから返事します」と答えました。
帰り際、「お湯でふやかせば、ドライフードももう少し食べやすくなるかもしれない」とアドバイスされ、いくらか安堵しました。
さっそく歯石取りの手術経験がある犬友への聞き込み開始です。
同時に、麻酔の事故について自分なりにインターネットで調べたりしました。結果、やはり手術してもらうことに。
去勢手術もしていないので、13歳のタローにとって初の手術体験になります。
手術日の朝、かかりつけ医に彼を預けると、「午後3時頃には終わると思いますが、麻酔が覚めたら、こちらから連絡しますので、お迎えに来てください」とのこと。
割と落ち着いて聞けたような気がします。
何気なく、「先生、頭と前脚にある小さなイボも取ってもらえますか?」とお願いしました。
普段、痛がることもなかったけれど、麻酔をかけるついでに、と思った次第です。医者は突如の申し出にもかかわらず、それぞれの場所を確認し、了承してくれました。
しかし、ついでに取ってもらった、1ミリ未満の2つのイボの正体が、とんでもないものでした。
もっとも聞きたくない言葉、「悪性腫瘍」だったのです。
三者合意のもとに その3 これ以上の手術は希望しません!!
5月17日、朝9時にタローを動物病院へ連れて行き、家で手術が終わるのを待ちました。
午後3時過ぎ、そろそろ手術が終わる頃です。
身支度をしながら、財布の中身を確認している最中に電話が鳴りました。
待ちに待った、お迎えの連絡です。病院に着くと、かかりつけ医がこう切り出しました。
「抜歯と歯石取りの手術は無事に終わりましたが、イボのほうにちょっと問題が……。正確な診断は病理に出してからになりますが、十中八九、肥満細胞腫という悪性腫瘍ではないかと思います」
嘘でしょ!?
「青天の霹靂」という言葉がありますが、まさにそんな感じでした。
にわかには信じられず、呆然としている飼い主に、まるで追い打ちをかけるような厳しい内容が続きます。
「残念ながら、腫瘍を完全に取り除くことはできませんでした。肥満細胞腫を想定していなかったので、麻酔時間が足りなかったんです。肥満細胞腫は再発の可能性がとても高く、今のところ外科手術しか治療の手段がありません。化学療法はあまり効き目がないと言われています。病理の結果が出るのは1週間後です。その時までに、今回取り除けなかった部分も含め、再手術をするかどうか、今後の治療方針を決めておいてください」
処置室から転げるような勢いで、元気よく出てきたタローを抱き上げ、「きっとこれは悪夢を見ているに違いない」と自分に言い聞かせながら、帰路につきました。
それからは深夜までパソコンに向かい、「肥満細胞腫」に関する情報を読み漁る毎日。
連れ合いも調べていて、2人とも偶然に海外の獣医が発表した、やや古い論文に辿りつきました。
それは大雑把に言えば、「犬における肥満細胞腫は皮膚病みたいなもの」というもの。
がん細胞がどこまで浸潤しているか考慮すべきところですが、まったくの素人考えで、全身症状に至るまでにはもう少し時間がかかる、と判断したのです。
麻酔をかけて何度もメスを入れることと、がんの進行速度とを鑑みて、再手術は行わないと決めました。
まだ若ければ、できる限りの手を尽くしたいとも思いましたが、すでに13歳を迎え、今のところ痛みはなさそうだし、食欲もある。
タローの生命力にかけてみようと思いました。
手術から1週間後、術後を診てもらうため、かかりつけ医を訪ねました。まずは気がかりな病理検査の結果から聞きます。自然と両手をギュッと握っていました。
「2ヵ所とも、やはり肥満細胞腫でした。再発の可能性はありますが、幸い血管やリンパへの転移は見られません。腫瘍のできた場所が良かったのかもしれない。頭部も前脚もすぐ下は骨でしたから」
説明を聞きながら、連れ合いと私、2人が下した判断は案外、いい線いっているかも――そんな思いを強くしました。
再手術はしない旨を伝えると、獣医は同意してくれました。
「おっしゃるように彼の年齢を考えたら、その選択肢も十分にありうると思いますよ」。
大いに気を良くした私は、調子に乗って確かめようもないことを尋ねました。
「先生、タローはどう思っているでしょうかね?」
すると間髪入れずに答えが返ってきたのです。
「間違いなく、これ以上の手術なんて断固拒否!! ですよ」
これにて獣医と飼い主、タローの三者合意によって、再手術はしないと決まりました。
だよね~~。散歩の途中で動物病院へ行くことに気付いたら、踵を返して方向転換する。
意に反して病院に入ってしまっても、出入口の前に陣取り、隙あらば逃げ出そうとする。
診察中、獣医に背を向けたまま目を合わせようとしない。
タローの気を引こうと獣医がオヤツを差し出しても、プイっと横を向く。
病院嫌い、医者嫌いが徹底しているんですから。
肥満細胞腫という悪性腫瘍を抱えたまま生きていくことを決めた帰り道、私の心は妙に軽くなり、タローの足取りは……いつもと変わりませんでした。