いつか、必ず、終わりは訪れる
11月23日はタローの祥月命日です。
彼が旅立ってから丸3年が経ちました。
社会的には勤労感謝の日、祝日ですが、私たち夫婦はそれぞれにタローがいた日々を懐かしみ、手を合わせます。
普段はどうしているかって?
連れ合いはまた犬を飼いたいと言い募り、一方、婆やは近所に住む実父の介護に追われ、正直「新しくワンコを迎えるのは無理」と感じていました。
なにしろ365日毎日、日に数度、一人暮らしの父親のもとへ通わなくてはならなかったからです。
父親は要介護3の認定を受け、限度いっぱい介護サービスを使っていました。
それでも認知症を患っているため、90歳を過ぎた父の生活は、3度の食事の支度やデイサービスへの送り出しなど、娘である私がサポートしなくては立ち行きません。
トホホ。
ところが今年の夏、父親が運よく近くの特別養護老人ホームに入所することが出来たのです。
ラッキーーー!!
ようやく1日24時間を自分のためだけに使えるんだ。自由を満喫してやる、そう思いました。
まず旅行に出かけたい、映画や美術館にも行きたい。気になるテーマの講演会やイベントを覗いたり、錆びついた頭に油をさすため講習会へ通ったり、あるいは曜日や時間を気にせず友人と会っておしゃべりをしたーい。
……なんとも間が悪いですよね。
せっかく自由の身になれたというのに、今年は新型コロナウイルスが世界的に大流行しているじゃありませんか!! 収束の気配はなく、旅行もイベントも、友人との会食もままならないwith covid19の日常が待ち受けていました。
いろいろ考える時間が増えたせいか、最近、タロー爺さんが亡くなった日のことをよく思い出します。
なぜ彼はあんなに吠えたのだろうか?
死が目前に迫っているのに、あれほど力強く、まるで叱るかのように吠えたのは、何か理由があったような気がしてなりません。
ペットが永遠のお別れするとき、一週間ぐらい前から食欲がなくなり、飼い主さんの呼びかけにも弱々しく反応するというイメージを勝手に抱いていましたが、タロー爺さんは違いました。
前々日から排尿の量は減ったものの、食事量が落ちることはなく、特に変わった様子は見られなかったのです。
11月23日、突如として毎日のルーティンが崩れました。
目を覚ますたびに、激しく吠え立てるタロー爺さん。外へ連れ出し排尿を促しますが、いっこうに出ません。
昨日まで口にしていた食事はもちろん、好物の生クリームさえ受けつけない。
「いったい、どうすりゃいいのさ!?」
困り果てた記憶が蘇ります。
けれども翌日になり、かかりつけ医に診てもらえば何とかなる。ピンチを何度か踏み止まってきた彼だから、今度も大丈夫とタカをくくっていました。
既に異変が起きている19歳と7カ月の老犬を目の前にして、です。
今は、ハッキリ分かります。あの時のタロー爺さんは「もう逝くからね。今度こそ、お別れだよ!!」と言いたかったのだと。
それなのに「20歳まであともう少し。今度も無事に切り抜けようね」などと、どこまでも能天気な飼い主に対して、「命あるものは必ず死ぬ。いい加減に覚悟しろよぉ」と気づかせたかったのではないか――。
そんな気がします。
19歳の誕生日を迎えられたのは本当に奇跡的なことでした。彼にすれば、それ以降はオマケの日々だったのかもしれません。
当時のタロー爺さんのつぶやきが聞こえるようです。
「20歳って軽く言ってくれるけど、まだ5カ月もあるんだよ。人間なら、あと2年近く生きなきゃならない計算だろ? いっぱい食べたし、いっぱい寝たし、いっぱい散歩もした。もう思い残すことないなー。じゃあね」